仏教の祖、釈迦の舎利(遺骨)を納めるために天平2年(730)に興福寺の創建者藤原不比等の娘、光明皇后によって建立されました。薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されています。
5回の被災・再建を経て現在のものは応永33年(1426)に再建されたものですが、廃仏毀釈の折には取り壊しの話が出たので唐招提寺の末寺竹林院の吉川住職によって5両で買い取られ一旦は難を逃れましたが、その後に奈良奉行所に買い戻され金属部分を売り払うため全て燃やす計画が上がったのですが、周辺住民の嘆願によって計画は寸前に中止され現在に至るまでその姿が残される事となりました。