元林院町

元林院町 興福寺や、春日大社を描く絵師たちが多くこの地に住み込んだために「興福寺の絵屋町」という別名が存在する。著名な洋画家、絹谷幸二が祇園の芸者を連れて帰り披露したのをきっかけとして「芸者の町」と呼ばれるようになると芸者が多く暮らし、置屋が並び大いに賑わった。昭和初期には200人ほどの芸舞妓がいたが徐々に衰退し、一時は断絶の危機を迎えたものの今御門町『つるや』の菊乃芸妓による「元林院花街復興プロジェクト」が立ち上がり再興の機運が高まっている。置屋跡はそれぞれ料亭や商家に形を変えたが、歴史ある建造物群はかつての栄華が偲ばれる。