興福寺

興福寺 藤原鎌足夫人、鏡大王が釈迦三尊像を本尊として山城国に山階寺を創建し、710年の平安遷都に伴い現在地に移され興福寺となる。
度々の戦火に見まわれ、中でも治承4年(1180)の平重衡の南都焼討の際には大半の伽藍が消失した。多くの僧兵を抱え江戸時代には21,000石の朱印を与えられ実質上の大和国守護として大いに権勢を誇ったが、廃仏毀釈により境内は塀が取り払われ奈良公園の一部となり大きく衰退する。 明治30年(1897)には再興が始まり徐々に寺観が整備され、現在も中金堂の再建工事が行われている。
なお、国宝館にある乾漆八部衆立像のひとつ阿修羅像は2009年の「国宝 阿修羅展」において異例の人気を集め、東京国立博物館においては歴代3位の入場者を記録した。