大乗院庭園

大乗院庭園 興福寺塔頭。摂関家特に九条家系の勢力が強く、中世には一乗院と並ぶ有力な塔頭で門主は摂関家や将軍家の子弟から迎えていた。室町時代には大和国一帯の座を広く支配下に収め大いに栄えたが戦国時代に所領が減少し、明治2年(1869年)の廃仏毀釈により消滅した。無料休憩所の名勝大乗院庭園文化館の奥に、日本トラストによって整備された庭園がありかつての面影を残す。因みに同じく塔頭の一乗院は現奈良地方裁判所となり遺構は見られない。